Today's record

好きなものものを紹介していく

 

世の中には、稀にだが、光そのもののような人がいる。

 

すべてのものを温かい眼差しで見る、心優しい知り合いがいる。私は彼と話すたびに泣きそうになる。

遠い東の異国に住む私達の幸せのために何時間も仏さまに祈り続ける、信仰深いタイ人の知り合いもいる。

 

目を背けたくなるような汚いものを見て、悍ましい世界を知るたびに、そういう美しい人達にずっと救われてきた。

何度も人間の醜さに絶望して打ちのめされて、けれどその度に私を救ってくれたのもまた人間だった。

美しい人達の心に触れるたびに人を信じたいと思った。

 

 

私は生まれつき性格が悪い。

誰に何を言われてもあまり傷つかない性分だったぶん、平気で人を傷つけかねないことをした。バレなきゃなんでもいいだろうと本気で思っていた。

ずるいことも汚いこともたくさんしてきた。

 

今、私はそれらすべてのことを後悔している。私の生き方はきっと誰かを失望させたから。

 

誠実に、堂々と、陽のあたる道のど真ん中を歩いてゆきたいと思う。

私を守ってくれた優しい大人達を失望させないように。

大人達、ありがとう、私はこの春で二十歳を迎えた。

 

そう、ちょうど今日のようなよく晴れた春の日の、白く光る陽射しのようになりたいと思う。

馬鹿正直に生きて損をしたってどうでもいい。

私は今まで光溢れた人を見て救われてきた。いつか自分の生き方で誰かを救えればそれでいい。

堂々と損をし続けて生きていこう。

 

夜明け

 

夜が明ける時間帯が好きだ。

一日のうちで一番好きだ。

 

高校の頃は日が昇りはじめる頃にやっと眠りにつく生活をしていた私が、ここ1年ほど日の出の1時間前には起床している。

 

未明の、静まり返った街と美しい空が眺められればそれで良いので、朝6時に就寝する生活だろうと朝5時に起床する生活だろうと私にとっては大差ない。

 

けれどやっぱり、早朝にスッキリした頭で街を眺めるのは楽しい。

特に今の時期、冬の夜明けの空は本当に信じられないほど美しい。

空というより宇宙に近い。

 

荘厳な色合いの空、人がいない大通り、遥か遠くに見える風力発電機、川沿いを散歩する人、川の鏡面のような水面、

街のすべてが、少し早く起きてみるだけでこんなに美しく輝いて見えるとは。

 

 

SNSをすべてやめ、連絡も大して確認しなくなってから、東京が忙しい街に見えていたのは気のせいだったのだろうなと思う。午前6時の東京には、永遠に思える静寂が確かに残っている。

 

春になったら風力発電機を間近で見てみたいと思った。

 

 

 

 

数少ない友達

 

 

友達が好きだ。

 

 

自分で言うのもなんだが、私には友達が少ない。

けれどその少ない友達は誰も皆、私が心から尊敬できるような人であって、友達のことが誇りであり、その友達の隣にいられる自分のことも誇っていたいと思っている。

友達に何度も救われている。

 

 

今日、どうしても残しておきたい(けれど話が長いので日記帳に書くのが面倒だし、この話をたまたまこのブログを見てくれた人に共有したかった)出来事があった。友達の中でも際立って素直で優しくて気立てが良い(蛇足だが可愛い)友達の話。

 

 

 

 

 

 

その子は、中学3年間同じクラスの子だった。高校からは文理も何もかも別であり、今はもう殆ど話す機会がない。その子は今、中学1年の頃からずっと変わらない夢を叶えるために浪人して受験勉強をしている。

 

私の中でその子は少し特別で、一際憧れの存在だった。相手は私のことを忘れているだろうけれど、私は毎年、その子の誕生日になると思い出した。

 

 

 

そして今年も誕生日がやってきた。えっまだ誕生日覚えてるの、と引かれるかもしれないなと思いつつも軽めに誕生日を祝う旨を連絡した。

 

 

返事を見て私は驚いた。

高校受験の時に私がその子に贈ったネックレスを、受験の時に必ずつけているという話をしてきたのだ。

 

正直に言うと、贈ったことも今の今まで忘れていた。もちろん合格祈願の気持ちを込めてあげたものだったが、軽い気持ちで贈った安物のネックレスだった。

そんなネックレスを、あろうことか毎回つけてくれていると。

 

本当に嬉しかった。

過去の自分がその子のことを思いながら買ってその子に贈ったネックレスを、私は忘れてしまっていた。けれど相手にはネックレスが残っている。

 

私の知らないところで、中学生の頃の私の気持ちが生き続けていたということ。受験という大きなイベントを迎えるたびに私の思いを身に着けてくれていたということ。

 

 

書いていて重すぎて我ながら気持ち悪いし、他人が読んで理解できる文章を書けている自信がない。けれどそれでもいい。私にとってこれが重要であることを書き残せることができればそれで良いのだ。

 

 

ずっと片思いみたいな関係だと思っていた。

一方的に私が好きなことはなんとなくわかっていた。けれどその子はやはり、誰かの思いを大切にできる子だった。きっともらった誕生日プレゼントを大切に取っておくタイプだ。素敵な友達だ。

 

 

 

 

 

 

私の思いがちゃんと残ってくれていて良かった。

ありがとう。

どうか桜咲きますように。

 

 

 

 

 

 

般若心経

 

般若心経が好きだ。

 

 

ふと思い立ち、先日本棚にあった旧約聖書物語を読んだ。青い鳥文庫の、小学生に向けわかりやすいように書かれたものだ。確か自分が小学生でちょうどアメリカに住んでいた頃、教会に通ったことで多少なりキリスト教に興味を持ったため親に頼んで買ってもらったのだと思う。当時は結局難しくて読めなかった。

 

 

かなりくだかれた言葉で書いてあり、物語としても楽しめてとても面白かった。美しい物語たちだ、と思った。

しかしやはり自分が日本人だからか、唯一神という概念が自分には合わない。十戒も実は納得できない。一度キリスト教の人と話してみたいけれど、やはり繊細な話題であり気軽に話を持ちかけるのも難しい。

 

 

そこで仏教はどうだろう、と思い、開経偈と般若心経しか知らない私はとりあえず般若心経の現代語訳を色々と調べてその意味を調べてみて、たったあれだけの文字数で、あれだけの意味があると知って驚愕した。

 

 

『世の中は常に変わり続けるものであり、無である』というのが基本的な教えだと受け取ったが、色即是空空即是色とはまったくその通りだと思う。そして無であるということは決して私達を虚しくするものではなく、むしろ逆で、解放させてくれるものだ。

 

 

 

 

そして私はその現代語訳を読みながら、ふと飛行機が離陸する瞬間を思い出した。

 

機体が浮き、窓の外を見やると今まで自分がいた地上はまるでただの薄い盤のように見え、人も車も建物も豆粒になり、やがて東京が自分の視界に収まりきる小ささになる。

 

ああこんな小さい街に私の大好きな人も大嫌いな人もいて、一生出会えることのない人もさっきすれ違った人もいて、みんなめいめいに生活している。

私は一体地上にへばりついて、この小さな街の中の小さな部屋の中で何を悩んでいたんだ、と思うのだ。世界は広い。二次元から三次元に解放されたような気持ちになる。

とにかく、私にとって飛行機が離陸する瞬間とは解放そのものだ。

 

 

般若心経も同じだ。そういえばこの世の中、決まりきったものかたちなんて何もない。不動のものなんてないしそもそも空っぽなのだ。はて、私は何に悩んでいたんだろう?

 

 

 

最後の瞬間

 

ものの最後の瞬間が好きだ。

 

 

どういうことかというと、例えばジャズピアノの曲。別段ジャズに造詣が深いわけではないので詳しいことはわからないけれど、ジャズピアノの曲って最後に美しいエンディングが入ることが多い。

一番好きなのはビル・エヴァンス・トリオのSeascape。

 

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曲が終わる最後の瞬間の、優しいきらめきのような音が好き。

というか、ジャズピアノの曲はこの最後の一瞬のためだけに聴いている気がする。

 

 

小説もそう。最後の一節が好きな小説はどうしても何回も読み直してしまう。最後の一節で読後感がかなり左右される。なにか予感めいたものであるとか、何気ない風景の描写で終わるとか。

最近読んだ中で好きなのは角田光代さんの短編集「さがしもの」のうちのある短編。その短編とは、主人公が異国の南の島でマラリアにかかり病床で途方に暮れる中バンガローで見つけた日本語の文庫本を読み、いったいこれは誰が持ち込んだ本であろうか、と想像を広げる話。ラストはこう締められている。

 

『私はときおり、仕事の合間や、酒を飲んだ帰り道などで、バンガローから見た景色を思い出すことがある。海が色を変え、ドアから犬がひょいと顔を出す。文庫本一冊でつながり得た見知らぬ男は、ときおり窓から、顔を出し私に手を振り、次の瞬間には消えているのだった。男が消えたあとにはただ、緑に光る午後の海だけが、窓の外に広がっている。』

 

 

うーん、南の島へ行きたくなってしまった。

 

 

 

結局何が言いたいかって、最後の瞬間は余韻が残されてこそ美しく終われると思う。けれど、人との別れって大体そうじゃない。

 

半端な仲の友達へのラインの返事が遅れてからなんとなく気まずくなって連絡をしなくなってしまうとか、元彼と久しぶりに会って、そこそこ楽しかったけれどもう昔みたいに魅力的な人には思えなくなっていてどことなく悲しい気持ちになってしまってそれ以降疎遠になるだとか、そんなのばかり。突然相手からの連絡が途絶えてしまい戸惑うものの事情を聞くことも憚られ、そのまま月日が流れてしまったり。

綺麗に別れられた人なんて今まで一体何人いただろう。

人との別れだけはいつも唐突だ。

 

 

 

 

書いていて悲しくなってきてしまった。

 

人との別れは唐突で余韻もなくて美しくない、だから私達は音楽や物語にせめてもの最後の瞬間のきらめきを求めるのかもしれない。

 

 

言葉にリボンをかけるということ

 

高校を卒業するにあたって、3年間をふりかえってみた。

思い出してみると色々と忙しかった。

何せ行事の多い学校だったので、常にワイワイガヤガヤしていた記憶がある。目まぐるしい早さで高校生活が終わってしまった。

その中で、今だに鮮烈に覚えている、ある友達が私に言ってくれた一言をここに書いておこうと思う。

 

 

 

 

その一言を言ってくれた友達は天真爛漫という言葉を体現したかのような子で、いつも笑顔で、明るくて、時には悩むこともあって、怒ることもあって、何にでも一生懸命な本当に素敵な子だった。

陰口を嫌い、皆に優しく、将来は幼稚園の先生になりたいと言っていた。

同じクラスになりしばらく付き合ううちにその性格に本当に裏表がないことを知り、ああ世の中にはこんなに心の綺麗な子がいるのか、と半ば呆気にとられた。人間の汚さ、醜さが全くない子だった。その子と話す時はいつだってワクワクした。太陽みたいな子だった。

  

 

 

 

ある冬の日。私はその子と選択授業が一緒で、隣の席に座っていた。

 

確かその子は私の持っていた灰色のマフラーを、似合っていると褒めてくれたのだと思う。だから私はその子の持っていたリュックと手提げとマフラーが同じ赤色だったのを見て、「△△(友達の名前)ぽいね、赤色△△に似合うよね、持ち物に統一感あって好き」などと返した記憶がある。

 その子は、ありがとうとつぶやいた後、少し黙ってから笑顔で私の腕をとって唐突にこう言った。

 

 

 

「うちね、◯◯(私)の全部が好きだよ!」

 

 

 

私は軽く頷いて、そこで会話は終わったのだが、しばらくしてから私の胸の中に暖かいものが広がった。

 

その子と私は一度は同じクラスだったものの、とても仲が良いというわけではない。もちろん私に直してほしい部分だってあるだろう。誰だって長所があれば短所がある。

でもそこまで仲が良いわけではない相手を、他愛ない会話の中で全肯定できてしまう優しさ。

 

授業に集中せずしばらくその子のその言葉を考えて、私はとある漫画の台詞を思い出した。榛野なな恵さんの漫画、『Papa told me』の中の一場面。

 

 

 

 

 

少し大袈裟に相手を褒めてしまった主人公が、そのことを友達に相談する。思いがけない感動シーンになってしまってなんだか相手に悪いことをしたようで心が痛む、と。

それに対して友達はこう答える。

 

「悪くないよ それって例えばこういうもの」

「リボン?」

「贈りものはきれいな箱に入ってかわいいリボンがついてた方が嬉しいでしょ。ことばにもちょっとリボンをかけてみましたよってこと」

 

 

 

 

 

言葉にリボンをかけるということ。

きっと私の友達は、人に話す言葉にリボンをかけることができる子なんだと思った。

 

 

自分のことがどうしようもなく嫌になった時、あのたった一言に何度も励まされている。わずか5秒にも満たない出来事に。

 

とびきり素敵なリボンがかかったその言葉は、私の心の真ん中で、いつも暗闇を明るく照らしてくれる。

 

 

 

 

世界一好きな漫画

 

わたしの中で完全にバイブルと化している漫画。

 

とりあえず、ブログかなんかを書こうと思ったときにはじめに紹介する漫画はこれと決めていた。この漫画はもう、友達に勧めるのもやめた。もし好きな友達に気に入ってもらえなかったら悲しくなってしまうかもしれないから。家で保管している初版のものと、人に貸す用、サイン入り、全部で三冊持っている。変態か。

だって、この漫画を超えてくる漫画にきっとこの先そうそう出会えない。

確かに大衆ウケはしづらそうな感じはするけれど、ある一定層には深く響く漫画だと思う。本当に大切な一冊。

 

町田洋さんの、『惑星9の休日』。

 

惑星9の休日

惑星9の休日

 

 

 

 

この漫画と出会ったのは、忘れもしない3年前の夏休み、御茶ノ水丸善でぶらぶら漫画コーナーを歩いていたら、そのどストライクの表紙とタイトルにビビっときてしまい、あらすじも確かめないまま良い漫画だと確信を持って即座にレジへ。

家に帰って、机をきれいに片付けて、椅子に座って、背筋をのばして読んだ。

想像の斜め上超えてよかった。

感動して泣きすぎて大変だった。

とりあえずこの漫画がこの世に存在していることに感謝した。なんなら日本語圏に生まれ、この漫画に出会えるほど本屋が身近な地域に住めてよかったと思った。

というかここまで自分の趣味というか好きなものをつめこんでくれる漫画家がいたのか、という感じだった。作者の町田洋、という中性的な名前から男女は判別しにくい(あえてそうしたんだと思う)。そしてわたしの勘が正しければ、結構若い方が書いたんじゃないかなあ、いや、全部勘です。

 

しかもその感動をおさえきれないまま本人のウェブサイトに記載してあったメールアドレスにファンレターを送ってしまった。ファンレターなんて後にも先にもそうそう書かないよ。やばすぎる。以来、新作が出るたびにファンレターを送っている。

ちなみにその全部のメールに対してとてもすてきなイラストをお返事として描いてくださっている。読んでくれているんだなぁ。

 

 

いったいどんな内容なのかと言いますと。

この漫画は8つの物語をあつめたオムニバス形式になっていて、どれも惑星9という常夏の惑星での穏やかな日常を描いたもの。

映画フィルムの倉庫会社で働くおじさん、夢をかなえるため故郷である惑星9を捨てた女優さん、若い頃宇宙飛行士だったおじさん、など登場人物は様々。出てくるおじさんたちがみんなかわいい。

 

作画が独特で、至極シンプルで直線的。だからこそ入道雲が生き生きとして見える。

 

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いやー、なんかアフリカとか行きたくなっちゃう。ボリビアとか。アメリカでもいい。どこか広大で何もない土地に。

白黒なのに、色鮮やかに伝わってくる何かがある。なんだろう。もう言葉が追いついてこない。ただひたすら、心の底から求めていた静かな情景がばんばん描かれてくる感じ。

ばんっと1ページまるまる使って一枚の絵のように描かれるシーンが何度かあるのだけど、そこでなんというか時が止まる。

例えばドライブしていてふいに目の前に海が見えて、「うわぁきれい……」と一瞬心がからっぽになってしまうような。主客未分状態というか。そんな感じになる。

静謐な夜の描写がとてもうまい。砂漠の夜。遠くまばらに光るネオン。街灯の灯り。

 

絵のような美しい描写で何度か泣きそうになり、むかし宇宙飛行士だったおじさんの話で泣き、そこからもちょくちょく泣き、最後の物語の、いちばん最後のページで再び大泣き。いや泣きすぎた。本来、そこまで感動ものでもないはず、けれど心がほっとする漫画。

 

 

第一話まるごと公開されています。

惑星9の休日

 

この漫画の感じが好きな人は、他のイラストレーターで言うと市川春子さん、たむらしげるさん、コマツシンヤさんあたりも好きかも。

 

 

町田洋さんはこれ以外にももう一冊、『夜とコンクリート』という単行本を出していて、あとはモーニング・ツーに読み切り『日食ステレオサウンド』を載せていたけど最近は町田洋さん、新作を出していない。

 

 

いつかふらっと漫画を出してくれたら嬉しいなぁ。何十年だって待つ。

そしてまたファンレターで、素敵な漫画を届けてくれてありがとうと言いたい。